言葉をはきだす機械

ことばをはきだすきかい。コトバヲハキダスキカイ。

上代にはなかりしものを

 よし泥酔だ。そうでもなければ文章など書けるか。

 

 今日は髪を切った、その勢いでアンフレンデッドという映画を見た。よかった。みんなも観るといい。

 髪を切りにいく途中バスの中で永井荷風の日記を読んだ。まぁ仕方ないが文語調は読み辛いのでやめろ。現代語訳ってないのかしら。

 酒の細道に書いていていた文章を見つける。ラズウェル細木さんはなんだかんだ博識だと思う。

 大名にある古本屋で斎藤茂吉の全歌集を買う、多分読まないけど。ついでに買った有島武郎はいつか読もうと思う。頑張れ、小さき者よ。

 

 さぁ歌おう。 

 

 清らなる8bitを踊りつる我ぞオタクとよばるなりにし

 

 赤髪の彼が弾きけるタッピングPixelMusic鳴るから踊らむ

 

 

 

 

 QuickPayグゥ゛ィ゛ッ゛グベイ゛としか聞こえずキモい

sigh sigh

 夢にまで見た布団で眠る。

 睡眠障害というか無呼吸症候群のぼくは眠る直前よくこんなことを思う。

 こいつのおかげでぼくのQOLは常に下を向いている。腹立たしい。

 ただこいつを治療するには一月ほどの入院、もしくは超長期の禁酒が必要なためわりと不可能である。フム―。

 

 それはそれとしてまた書こう。それっぽいものを書こうとするとだるくなる、しかし現実をそのまま書くのも自分としては意味がない。

 まあ適当なものを書いていこう。

 

 とりあえず今日は昔の自分をDigろう。

 

冷え性で氷のような僕の手を実は自慢に思っている、冬

こんなのが自分の手かよ 生温く まるでうさぎの首しめた昼

 

こぼせしかしボリボリと食むボリス・ヴィアンしかし

 

幻覚にあくがれてをり青年が一つこぼせし かの花のうた。
 
僕たちの夢はいつでもべちゃべちゃだ 砂糖まみれのべちゃべちゃの「白」。

 

僕の神について(2)

 バンドワゴンは続くよどこまでも。

 

 久しぶりにバンドで遠出をした。主に自分のせいで何日も使ってツアーをするということが出来なくなったので遠出をするのは何カ月ぶりだろうか。福岡から京都まで車で移動した。

 

 バンドワゴンは続くよどこまでも。

 本当にそうなのかな。

 

 始めたものは終わらせなくちゃならない。

 

 けど。

 それでも僕は何度も何度も一瞬は永遠で、永遠は一瞬だと信じられる瞬間を経験してきた。永遠と一瞬なんて理解できるはずもないし、自分でもどういう意味か分からないけど。それでも。

 移動中後部座席で眠りながら聞くとはなしにメンバーの会話を聞いた、本当に赤い朝焼けを見た、演奏中スネアを合図にバンドが発火した、他愛ない会話で心から笑った、初めての場所でそれでも爆音を鳴らした、あなたと出会い話すことができた、また出会えた、そんな瞬間に本当に僕は永遠と一瞬を信じたんだ。

 

 始めたものは終わらせなくちゃならない。

 本当かな。

 

 歌うということは歌を詠うことだ。「歌」はもともと特別なリズムを刻む「打つ」という単語と関連した単語だ。それは日常ではなく、それは尋常ではなく。

 

 古事記にこんな一文がある。

 「汝が言える言は何の言ぞ」

 「吾は言はず。唯歌を詠みつるのみ」

 言葉は通常だ。歌は異常だ。歌は神(あなたが信じるなにか)につながるものだ。だから。

 

 始めたものは終わらせなくちゃならない。

 確かにそうだけど。そうだけど、でも。

 

 別に今終わらせることはないし、もし音楽が鳴りやんだのならまた鳴らせばいい。

 そうやって何かに繋がっていけ。

 行け勇んで、何物でもない僕よ。

 

 バンドワゴンは続くよどこまでも。

僕の神について(1)

 密造したハードリカーを水道水で割って呑む。

 変拍子に合わせて男が歌っている。

 ミツゾウシタハードリカーヲスイドウスイデッワテノム。早い。音楽を文で表すことは出来ないがこんな感じ、のような気がする。

 

 金とはなんだ、宗教を信じていなくとも金を信じることはできる。

 金を絶対と信じなくとも、キリストだけを、YHVHだけを絶対と信じる事と、音楽をだけ、芸術だけを、恩師だけを、君だけを絶対と信じる事とに果たしてどれほど信仰のレベルにおいて差があるというのだろうか。

 神の子を信じていないとしても、その他を信じるその態度は一神教となんら変わらないというのは面白い、ような気がする。

 

 だからこそ、「密造したハードリカーを水道水で割って呑む。」というヤハウェも、オルフェウスも、弁財天も、バッカスも信じない姿勢にずっと憧れている、ような気がする。

 

ンクク

 青春、とはなんだろうか。

 

 最近その系統の本を多く読んだせいか、ふと考える。

 人を傷つけて、人を悲しませて、人に憎まれて、人の純粋な善意を偽善と呼んで嘲り、人の思いを当然のように裏切っていく。

 それでも平然と、ほとんど気にせず生きていられる、そんな時代。だいたいそのようなものではないだろうか。

 ただこのままでは、現在もそのような行為を行っている、もともと人は自分のための舞台装置である、というような人もいると思うので最後に、それでもどこか一部分だけは輝きと矜持があり、許したくなる何かがある時代。という定義も付け加えておく。

 

 楽しい地獄。

 

 上記のような定義をしたうえで(人が自分に輝きや、許しを覚えたかは甚だ疑問ではあるが)、自分が過ごした青春とはこのように言い切ってよい気がする。

 

 青春。自己と事故のぶつかり合い、ビリヤードの第一投のようにぶつかり合い、ひかれあう自分と友人たち。

 あの時の火花を、あの一瞬の輝きを、青春と、エバーグリーンと、呼んで差し支えないのかもしれない。

 

 楽しい浄土とも、つまらない楽園とも、最低の奈落とも言えない今を生きる自分としてはふと羨ましくなる瞬間もある。

 

 もちろん二度と戻りたいとも思わないし、あの地獄を再び生き延びられるとも思わないが。

はいたものを再度はく

 昔はき出した言葉たちを見つける。

 

バナナの皮で転んだら あなたにまずは笑ってほしい 大丈夫?とか言うなよ。怒るぞ。

二日酔いなんで吐きます。仕事があるんで走ります。ほら、青春。

世界を終わりと呼んで遊び続けた夏の夕暮れ

作り物の天才と嘘をつく天才と本物だという天才

本物になりたいと泣いたら夜に僕を笑ったあの虹

5歳の夢をみていたね 好きな人以外はすべて死ね

心の機微など知らないけれど それでも君を友だと言わせて

関係ない関係ないと愛してほしくて 始まる真夜中

神様の伸ばしたその手蹴りとばす あはれでいいよそれより歌なの。

現実が 確実だとは思えない ふんにょりの道くにゃくにゃと行く

桃さわる 桃潰してる 桃壊す 桃桃桃も桃も桃「夢」

冷え性で氷のような僕の手を実は自慢に思っている、冬

ぐちゃぐちゃの極彩色で飛び立つの どうせ長くはもたないなんて 知ってるけれどそれがなんなの

僕たちの夢はいつでもべちゃべちゃだ 砂糖まみれのべちゃべちゃの「白」。

さぁ踊れさっさと笑えすぐに飲め 嘘になりたい サルのシンバル

錆び付いた光の渦を撒き散らし僕らは涙に近づいてゆく

うっすらとこぼれる雫が惑星で 隣の箪笥がこの僕だ

隅っこの ゴミ箱のよな きらきらの あの日の夢が 続いてる場所

誰がために 伸ばした腕を 引き千切る 綺麗なものは 壊されていい

堂々巡りの夏を行け 無明の光の真ん中に 白い白い白い僕ら

死にたいと歌えば君は僕にいう 「青になれたら死んでもいいよ。」

世界はさ きっと僕らを許すんだ だから僕らは子供でいよう

「光のなかに立っててね」「何故?」「好き」「何故?」「す、ポリリズムなの。」

呼吸の仕方を知ってりゃ奇跡だなんてたまにはいいこと言うぜおっさん

呪詛の様な祝詞に塗れたあの日から 僕は未だに逃げないでいる 地獄みたいに綺麗な青色

「生きている」においが嫌い 僕はただ 「嘘」でありたいだけなのに

目がさめて 手で触れて ああ君が 僕の神だったのか なんて夢をね。

 

 なんとなく良かった(と思う)言葉たちを、缶ビール君、ハイボール君が精選(でもないか)。そこからさらに彼らが何個か審議したり推敲したりして太字に。とでも言わなきゃ恥ずかしい。けど好きなんです、やっぱり。